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ミニカー莫迦 BMCピニンファリーナ

  セルジオ・ピニンファリーナ氏死去。ご冥福をお祈りします。
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カーデザインの雄と言えば、フェラーリのピニンファリーナ、ランボルギーニのベルト-ネが挙げられるが、カロッツェリアはスーパーカーばかりデザインしているわけではない。ピニンファリーナはあらゆるインダストリアルデザインを手がけ、自動車の委託製造までしている巨大企業でもある。日本企業との関係も深く、日頃愛用してるものが実はピニンファリーナが手掛けていた、ということもあるかもしれない。

ピニンファリーナの名声を確たるものとしたのは、バッティスタ・ピニンファリーナの時代に発表した1947年型チシタリア202クーペである。それまで独立していたフェンダーを一つのハコに収めた手法は今日に至る自動車の形を決定付けた。街で見かける自動車のほとんどがピニンファリーナの影響を受けているといっても過言ではないのだ。チシタリア202クーペはニューヨーク近代美術館に「動く彫刻」として自動車として初めて永久展示されている。

初めてピニンファリ-ナの名を知ったのは、マッチボックスNo56のBMCピニンファリーナ(1967)。BMCとはミニなどを製造していた英国のメーカーだが、多数のブランドが複雑に入り組み、その効率の悪さ故長く経営不振にあり最後はブランドを切り売りして解散した、残念な会社である。それはさておき、このミニカーを手に入れた幼少の砌、街にはこんな形のクルマは走っていなかった。乗用車と言えば箱のようなセダンだったし、スポーツカーといえば2ドアが当たり前。屋根がなだらかに下がってゆくそれはスポーツカーのようであり、なのに4ドア、というのは随分不思議に感じたものだ。のちに、そっくりなミニカーを手に入れたのがシトロエンCX。どういう経緯があったかわからぬが、BMCのコンセプトカー発表から7年の歳月を経ている。日本では今ひとつ人気が出ない5ドアハッチバックも、その合理性から欧州では定番である。アウディa7スポーツバッグやBMW5グランツーリスモなども実はこのコンセプトカーが源流にあるのでは?と思っている。

バブル絶頂期の1989年東京モーターショウ。日本車の当たり年と言われたこのショウには、セルシオ、インフィニティQ45、R32GTR、ユーノスロードスター、NSXなど、世界の注目を集める車が華々しく展示されていた。日本車もついに頂点に上り詰めたか、という中、イタリア車ブースに一台のコンセプトカーが置かれた。フェラーリ・ミトス。デザインbyピニンファリーナ。明快に分けられたフロントとリアのセクションが優美に融和する。この素晴らしい造形にただただ感動し、日本車のデザインはまだまだ追いつけない、と痛感した。
これからもピニンファリーナには夢を見せてもらいたい。
by match_boxes | 2012-07-04 23:55 | ミニカー莫迦 | Comments(0)

小箱なバーの毎日

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