家に溢れるガラクタの攻勢にもう随分と長い年月辟易しているのだが、いざ捨てるとなると、モノが漂わす時代の空気が惜しくてなかなか踏ん切りがつかない。まったく記憶にない玩具の残骸に、幼少期に感じたのと全く違う味わいを見出す。
お菓子が入っているおもちゃ、所謂食玩なのだが改めて眺めるとユルイかたちでありながら60年代のバスの様式をしっかりと再現している。いまならもっと精密に再現できるだろうが、この時代の空気は再現できない。いまの時代にこう作ることはできないのだ。
所詮子供たちに遊ばれ消費されるのが玩具の運命だ。こうなってしまってはゴミとして処分されるのが当然だ。が、残骸は残骸としてその存在を主張する。
スーパーの菓子売り場で買ってくれろとだだ捏ねた記憶が甦る。僅かに袋詰めされたチョコの入ったナガサキヤの自動車の食玩。気に入っていたデボネアはどこへ行ったやら。
元ネタは定まらないが、刻印されたリベットが往時のバスをよく再現している。そしてJNRの文字とツバメマークがレストアする価値が十分にあると確信させる。
ここまで残っていたのなら、今一度復活させよう。